私は春ごろに、海外から帰国しました。結婚し、ブラジルに1年半ほど住みました。今まで自分がそんな遠い国に行くなんて思ってもみなかったのですが、ブラジルの生活の中で日本との違いを良い意味でも悪い意味でも感じました。私は言語の問題で普通の会社で働くことが出来ず、基本的に家にずっといました。最初のうちは掃除して、料理して、ドラマを見て勉強するといった生活が楽しかったのですが、しばらくすると自分は最近何も成長できていない、自立できていないと思いストレスに感じてきました。夫の両親が会社を経営していたのでそこで週2くらいでバイトをさせてもらいました。働き出すと自分が必要とされている、人を助けているという気持ちが湧いてきて精神的に安定しました。仕事を与えてくれた義理の両親に感謝しています。ブラジルでは食品レジなどのバイトをフルタイムでしても、1日千円程度しかもらえません。物価は日本とあまり変わらないので、とても生活が苦しい国です。背骨が折れていてもお金がなくて病院に行けない人も見ましたし、ホームレスもとても多いです。しかしその中でも幸せを見つけて楽観的に暮らしている人たちも沢山います。私は改めて日本の労働環境は大変なことや問題はあるけれど、とても恵まれているのだなと感じ、働けることにとても感謝しました。働くことは自尊心につながり、自分の成長を与えてくれるものだと気づきました。また、身体と心の健康のためにも働く事は大切だと改めて感じました。
今、終末期ケア専門士という資格の取得に挑戦しようとしています。
きっかけは、父親の病気でした。
体調の変化があった翌日に、実家の担当の地域包括センターに相談し、介護保険の申請を行い、担当ケアマネが決定する等、慌ただしくはなりましたが、自分が出来る限りの事は出来ました。
それから1か月も経たない内に、再び救急搬送の必要性が出てきてしまい、救急搬送し検査したところ、入院する事になりました。
救急搬送した翌日に精密検査の予約がとれていた為行う事が出来たのですが、1万人に1人の確率の病気を患っている事が判明し、大学病院に転院し治療する事が決まりました。
大学病院では、検査や手術等の治療で辛い思いをしてしまうのは避けられない事、体力的に耐えられるかどうかという事、後遺症が残ってしまう可能性が高いという事から辛い治療をするよりも療養を勧められ、余命宣告を受けました。
日々弱っていく父の姿を見ているのもそうですが、余命宣告を受けた時は、私も同席していた母も涙が止まらなくなりました。
介護の道に進むきっかけが両親の高齢でした。
仕事での経験が役に立てているように思えるので後悔というか悔いは残らないように動けているのではないかと思いますが…
終末期にも自分なりに何か出来るように、最期まで悔いが残らないようにとの思いで、勉強に取り組んでいきたいと思っています。
この言葉を初めて知ったのは「介護職員 初任者研修」を学ぶ時でした。これまでは全く知りませんでした。ノーマライゼーションとは健常者と同じように近づけるという意味であり、それを思い出せば、私は自動車整備業界で生きてた頃、様々な健常者達に支えられてきた事が事実でした。自分の出来る事は進み、出来ないところをどうすれば出来るのか?その繰り返しでした。その行為は障害者差別行為ではなく、私に対する理解あってこそ育てきました。例えば「電話が鳴ってるのにどうして、かけなかったんだよ!」「ベルト鳴ってるよ!」等と怒られたりする事が何度もありました。この為、言い訳は出来ず、謝罪するばかりでした。私の欠点はあります。それは「内気」です。自分の思ってる事、考えを人に伝える事が出来ず、謝罪してしまう傾向があります。それでも大きく成長して来たんだなと自動車整備業界での社長をはじめ、同僚の人達やお客様に感謝しております。そして事情により退職し、転々と職を変えてきました。全然違うんです。ここの神奈川県では障碍者に対しては厳しいんだなと感じていました。失敗は許されない。障碍者に対しての信頼度が極めて低いんです。私はそれに対して反発し口論等と繰り返しました。何故なら私には元プロの自動車整備士であるプライドがあるからです。健常者だって失敗はします。だからといって障害者にやらせない。そうなってくると、こっちは仕事がやりにくくなります。これは障碍者差別行為だと感じられ、この為、不満にぶつけて何度か発言、口論等で口喧嘩を起こしてしまう事があります。特に神奈川スバル(株)部品センター1番大きかったでした。ここで初めて悟ったのです。自分の思っている事、感じた事を人に伝える事です。そうしないと人は動きません。「あんたみたいな奴は初めて見たよ。だってさ、俺は24時間テレビを見た時だよ。みんな頑張ってるなぁって感動したんだよ。なのに、あんたの場合、全然、違うよ。」と私はこう答えました。「それは、あんたの見ている世界は幅狭く見ているだけなんだよ。俺は色んな障害者を見てるんだよ。自分が出来なくて悔しくて泣いている人がこの世にいっぱいいるんだよ。それをお前はわかってないんだよ。」私は知っています。この為、正義感があり、障害者達に責める事が出来ない優しさはあります。そして私は介護福祉士を学ぶ中、三つ大切な言葉を学び得られました。一つ目「ストレングス」二つ目「パワーメント」三つ目「アドボカシー」ストレングスとは相手をどこまで出来るかを把握すること。パワーメントとは自分の能力を発揮すること。アドボカシーとは、その人の出来ないところを代弁すること。世の中にはアドボカシーが多いようですが、私の場合、それらを全て受けられました。自分が出来ない等と言い訳はしない。自分が出来る事をとことん追求して進んでいく。こうして同じ事を繰り返す日々の中で様々な人達に怒られたり、障碍者達に嫉妬されながら裏切られたり等と、その時の痛みや悔しさを味わえ、そんな中、私を支えたのが社長でした。そこが「ストレングス」と言えるでしょう。「ストレングス」から「パワーメント」へ導き、聴覚障害者が取得してはならない法律を乗り越えて国家自動車二級整備士の取得し、ここから厳しく険しい道のりを歩いてきました。孤立して行く寂しさ、悲しみ、悔しさ、痛みを私には十分、浸みこまれていきます。この為、多くの人達をサポートしたい。自分が人の為に役に立てる人生を歩きたいと強い願望を持っています。新しい出会いがあった時、こんな風に思っています。私が亡くなる寸前に励ましの言葉なんていりません。「私は知ってたよ。貴方って本当に頑張り屋さんだったよ。内気で口数の少ない貴方は自分が介護職には向いてないと知っていながら、負けん気で頑張ってたよ。辛かったでしょう?お疲れ様です」と言われたいくらい私は、そんな人生を歩きたいんです。勿論、障害の持つ利用者さんに強制いたしませんが、私を育てた多くの健常者達に感謝して謙虚を持ち、私は、ここで新たにスタートします。