ブログ|ケアスティ ゆい・ゆい

オフィシャルブログ

♪私に人生と言えるものがあるならば     和田 早苗

私に人生と言えるものがあるならば

あなたと過ごしたあの山の日々

きらめく草の葉に心が弾み

野に咲く花に心がかよう

 

私に人生と言えるものがあるならば

あなたと過ごしたあの旅の日々

もう会えないけど、もう若くないけど

二人で行ったあの日が浮かぶ

 

私に人生と言えるものがあるならば

あなたと過ごしたあの山の日々

許されるのならやり直してみたい

出来る事ならばあの日に帰りたい

 

私に人生と言えるものがあるのならば

あなたと過ごしたあの山の日々

あなたと過ごしたあの旅の日々

 

若き日の思い出がよみがえってきます。。

65歳を迎えるのに、最近は歳を取ったなと思う出来事が目立ち、書き上げた歌を思い出しては、口ずさむ日々です。

和田早苗

突然の出来事 和田

私の家族は、御殿場に住む長男家族、上のお姉ちゃん22歳、下の子が7歳、プードルのピロちゃん、黒猫のルンちゃんです。お父さん、お母さんととても仲良く暮らしています。

下の子が2歳の時、目の動きが気になり、心配していました。そして、その子が小学生になる時、目の異常が分かり、視力が弱視と言われて、治療をすることになりました。眼鏡を使用し視力をよくしていくそうです。両親は心配し、悲しんでいました。お母さんは、娘の目が大きくてきれいな瞳を自慢しているくらいでした。孫は眼鏡をすると、お友達が眼鏡をいたずらするのが嫌だと溢していました。それでも本人は、明るく元気で、負けずに学校に行き暮らしています。おばあちゃんと一緒だね。と話しかけ、夏休みのお盆の日に遊びに来て、たくさん遊びました。かけがえのない家族の幸せを祈り、孫の目が見えるようになりますようにと、仏様になってしまった両親に手を合わせ、心から祈りました。

仕事人=蒲鉾     副嶋

入社して間もない頃、二人介助の為、もうひと方をご利用者様ご自宅駐車場にて待っている時、ご利用者様宅が改装工事されていて夕方工事関係者が帰り支度を済ませ詰所から出てきた際、「お疲れ~」と後ろ姿の自分に挨拶を掛けてこられ、その言葉にとっさに反応してしまい「お疲れ」と返した瞬間、お互いに誰?となり、「間違えました」と言われ、「こちらこそ」と返し終わり、まだまだガテン系のオーラが消えてないのだなと思い、介護職員として早く蒲鉾のようになっていかなくてはと思った事もありました。

 

 

*仕事人=蒲鉾=板についている。

少女との出会い  上原さつき

この夏休みにある集会に参加した。奥多摩の山の中、緑あふれる自然の中で、関東36教会から、メッセージを学ぶために呼び集められた。中には障害を抱えながらも神様の救いを求め、参加している家族との出会いがあり、彼女が描いていた挿絵に御言葉を添えて

作品に仕上げて展覧会を持つことが出来た。

彼女の純粋な気持ちが絵になり、多くの方と出会い、心がつながった。この事から人前に出ても息苦しさは無くなり、イベントに協力出来るようになり、明るさが備わった。自分で出来る事を形に出来た、とてもすがすがしい出会いでした。

あるくこと B・I

介護には同行援護と言うサービスがあります。同行援護とは、視覚障害のある人が外出する際、支援者が同行して移動に必要な情報の提供、移動の援護、トイレでの誘導や食事のサポート、代筆や代読、移動者が行きたい場所への同行、同行中の身体介護、利用者に応じたコミュニケーションツールを準備し対応すること、事前準備など多岐にわたります。

その中でも移動同行中の歩きに関して書きたいと思います。2人の成人男性が横並びに歩いていることを想像してください。幅が広い道、狭い道、でこぼこ道や砂利道、芝生等色々な条件の道があり、その上雨降りや、雪などで滑りやすい道、ポールやガードレールが沢山あったり、点字ブロックが有ったり、下り坂上り坂、幅のそれぞれ違う階段、歩道橋やエスカレーター、エレベーター、横断歩道、踏切、電車乗り込みの際の危険性、バス乗降時のバスと未知との段差や隙間等多種多様にわたります。その上、歩行者、自電車、車、バス、バイク、横に並んで歩いてる人、全く気にせずスマホをやっている人等々その中をかいくぐり歩き、注意して目的の場所に安全に到着することが仕事上、必要です。1人で歩く場合は、あまり気にせず歩いていましたが、2人で歩くと沢山の注意点が解る様になりました。介助している最中には、相手がよけたりすることが当たり前で(善意の心)、白杖を持っている人が歩いているのだからと、周りの人も注意してくれていると考えず、ほとんどの人は、下を見て歩いていたり(スマホ)当たることを気にせず歩いていたり、様様です。危険な場所や場面はいつ何時にあるかわからないと思い、介助することが必要です。但し、気にしてくださっている方もいるので少しは安心です。介助時、私たちも、他の人の気持ちや行動を考え、譲り合いの精神で歩いていきたいと思います。

休日の過ごし方   A

休日の1日の過ごし方は、行きたいところに行くと決めている。朝のんびりしたいと思う事もありますが、お天気が良い日はなるべく外出し観光・買い物・食べ歩き等するようにしています。誰かとではなく1人でほぼ出かけています。東京辺りだと見どころ満載で1日では見切れず何回かに分けてでかける事もあります。今まで行きたかったけど行けなかった場所など色々楽しいです。先日は浅草寺に行き、お守りを購入、大学芋・天丼を食べました。別な日では、東京タワーに行き展望台から東京周辺を見下ろしてきました。

随分昔に昇ったことがありますが、再度床がガラスになっている所も歩けるか試したり、蝋人形館はなくなっていましたが十分1人でも楽しめました。虹もでていて良い事がおこりそうなそんな気がしました。次回は夜の東京タワーから東京の夜景が観たいです。次に予定しているのはスカイツリーです。

「エレファントマン」   綾部 義雄

見せびらかしって何だろう。思い出せば私は、あまりにも衝撃的な映画を見ました。それは「エレファントマン」という映画でした。まだ、高校生で、その頃は優越感がありプライドの高い少年でした。たまたま、ある漫画本に「アイム ヒューマン ビーイング!!」と書かれて「私は獣じゃない!人間だよ!」とわかっていても絵で描いているだけでわかりませんでした。たまたま、この映画を見ようと入館しました。あまりにも残酷すぎる物語でした。サーカスで、見せしめにされている獣。あれは何なのか?分からず、医師がそれを見て救って保護しました。何らかの会話で聞き取れて真似して、言葉が出るようになった獣は人間だとここで私は初めて、知りました。その後、医師がその獣に色々な言葉を教えて訓練し、その言葉を身に付けられ、交友会で広げて行きました。しかしながら、この世で生きていくのに難しく、この体を人に見せるのが恥ずかしくて体を隠して路上で歩く姿も、ありました。就寝する時、私は人間です。みんなと同じように、あお向けて休みたいと、ここで息を引き取ったという物語でした。彼の病名は「プロテウス症候群」です。骨髄や皮膚等が変形してしまう病気であお向けた状態で呼吸困難となり、死に至ります。それを知っていて死を選択したという事は自殺です。苦しかったのでしょう。見せしめじゃない。我々と同じ人間であると理解していかなくてはならないと感じました。

また、「障害は個性である」とよく聞いています。しかし、私は、この言葉は嫌いです。「個性」とは何でしょうか?それは性別、性格、趣味等事を言います。障害は個性ではありません。障害とは何か?生まれつきそのものや、ダメージを受けた身体のことをいい、「障害は障害」であり、それらをどう理解して頂くか?或いはそれをどう乗りこなすか?事は難しいでしょうが、選択は二つ。自分の障害を克服する事。もう一つは自分の障害を身近な人達に理解して頂く事。人はそれぞれの選択であり、私は、自分を克服していくタイプです。だからといって私は障害者達に強制はいたしません。客観的に考えてどうケアしていくか?一人一人のプライバシーを守り、優しく丁寧に笑顔で努めていきます。

9月テーマ 我が大地のうた      和田 早苗

カラマツ、コメツガ、針葉樹林

かもしか、月の輪ぐま、走る稜線

そびえたつ、つらなる我が山々を

そびえたつ、つらなる我が山々を

いくたびか春をむかえ

いくたびか夏をすごし

いくたびか秋をむかえ

いくたびか冬をすごし

 

柿の木、赤土畑広がる水田

川柳、青い水、流れる河川

この土地に、生きている私の暮らし

私に流れる人たちの暮らし

私が歌う歌ではない

あなたが歌う歌でもない

我が山々が私のうた

我が大地が私のうた

 

 

かるかやからつり草

わきたつ積乱雲

からすうり、月見草、風渡る草原

この土に私のすべてがある

この国に私の今がある

いくたびか春をむかえ

いくたびか夏を過ごし

いくたびか秋をむかえ

いくたびか冬を過ごし

 

かもめどり、黒松岩礁海岸

カツオドリ、海つばめうねる水平線

この国の歴史を知ってはいない

この国の未来を知ってはいない

けれども私はここに生まれた

けれども私はここに育った

私が歌う歌ではない

あなたが歌う歌でもない

我が山々が私のうた

我が大地が私のうた

この歌が、大好きなご利用者様がいます。

一緒に歌い過ごす瞬間が共に喜びを感じる時です。

人に尽くす        いばね るりか

初めまして。8月にゆいゆいに入社しましたいばねと申します。初めてなので自己紹介をさせていただきます。

私は家事や育児が好きです。物心がついた頃には、保育園で自分より下のクラスに行って毎日年下の子をとんとんしてお昼寝させるのが楽しみで、大好きでした。小学生に上がった頃には甥っ子が生まれ、粉ミルクを作ったりオムツを替えたり、小さなお母さんをしていました。8歳になった頃には、「自分に出来ない事なんてない!私はもう大人よ。」と思い込んでいました。その盛大な勘違いに気が付くのはまだまだ先の話、長女を出産した後になります。

そんな少し大人びた私の介護士の道がスタートしたのは13年前に働いていた有料老人ホームでした。当事17歳だった私が介護士を始めたきっかけは、介護士をしている母に、るりに絶対向いてるからやってみたらと勧められた事でした。今思えばその一言が人生の大きな分岐点でした。沢山の契約書や年金手帳や保険の話は、それまでしてきたアルバイトとは重みが違うような、同級生よりも一足早く大人になった気分でした。

利用者様に毎日ありがとうと声をかけて頂き、ひ孫と同い年だよ!なんて言われながら笑い話をしたり、忙しい施設でしたがやりがいがあり、『人に尽くす』この仕事は自分の天職だと思いました。

それからは、スキルアップのためにヘルパーの資格を取る学校に通ったり、結婚や出産を経て、特養や短期入所型のデイサービスや病院での介護経験を積んで、今に至ります。

人に尽くすのが好きな私にとって、訪問介護の仕事はぴったりだと思っています。施設や病院では、その日の仕事をこなすので皆いっぱいいっぱいで、利用者様一人一人の要望に全て応える事は難しいです。訪問介護では、その都度利用者様に何をして欲しいかどんな事が嫌か、確認をしながら一人一人に寄り添った介護を実現できます。まさに、人に尽くしたい私と、要望を叶えたい利用者様のマッチングで、お互いにとって良い時間を過ごせるように癒しの時間を提供出来るように尽力したいと思います。

長くなりましたが、初めて飛び込んだ訪問介護の世界で、私はゆいゆいを選んで雇って頂いて良かったと思っています。職員皆が利用者様やそのご家族のために、毎日色々な事を考えながらしっかり働いています。十人十色それぞれにあった介護を提供する事は、私が介護を始めた当初からずっとやりたかった事です。私も早く一人前になれるよう仕事を覚えて、資格を取ったり実務も含めてスキルアップしていきながら、ゆいゆいの信頼できるスタッフになりたいと思います。

「障害の持つ女性作業療法士」 綾部 義雄

何十年前か、私は日本テレビの世界仰天ニュースの脳内出血により転倒したある女性の番組を見ました。この女性は元々健全であり作業療法士を目指して懸命に勉強していました。ある日、突然、意識消失となって、倒れた。すぐ、病院に運ばれて検査を受けた結果左脳内出血でした。手術を受けたが、右片麻痺、失語症、失行症となった。道具の使い方が分からない。言葉が伝えられない。一番嫌なのは排泄介助である。恥ずかしくて人に見られたくない。何と言っても自分でやりたいと自分1人でやった。そして、再び転倒した(てんかん発作?)が、回復するまでリハビリを受けた。ようやく退院し、ある親友と一緒に散歩しながら親友が尋ねた。これから、どうするの?あれだけ頑張ってたじゃない?言われた時、障害となった自分に自信がないと軽く横に振っていた姿を見た親友がこう言いました。「あなたらしくないよ。あれだけやりたい!やりたい!言ってたじゃない?見損なったよ。」その言葉が響き、社会復帰に向けて勉強して国家作業療法士の資格を取得されて現在、作業療法士の仕事を続けているようです。その女性だけでなく、他にもいます。アイドルを目指してオーディションを受けて突然、脳卒中で倒れた女性も国家作業療法士を目指して資格を取得されています。私もこのような経験が何度もありました。世間に認められなかった悔しさをバネにして生きていきます。