生きるなら一生死ぬまで楽しく生きていきたいというのが私の小さい頃からの我儘な性格でした。まず、何をしたいのか?分からず運動は得意ではなく、勉強は面倒くさがり、やる気もありません。好きな学科は理科でした。科学技術、生物学が熱心で美術技術工学も大好きでした。そして、漫画本を読む事も好きでした。好きな漫画家は「手塚治虫」でした。「ブラックジャック」をはじめ、「三つ目がとおる」「火の鳥」様々な作品が影響を受け、好奇心旺盛により夢が膨らみ、そこから走り出しました。趣味を生かしていく。それが私の生き甲斐、自動車整備業界へと結ばれました。
最近、こんな事がありました。娘と一緒に外出しようと玄関から出た時50代くらい女性と老女、2人で出会い、50代くらいの女性が手話で挨拶してました。その時、私を馬鹿にしてるのか?とムッとして「要件は何でしょうか?」と口話のみ伝えると目を丸くして驚いていました。話を聞けば宗教の勧誘活動で来て頂いた事でした。手話を使っていますか?と聞かれて「私はこのような機会がなかなかないんです。中にも手話の出来ない聴覚障害者がいますよ。この人達にどう対応するかですよ。」と応えました。「そうなんですか。ろうあ者との集いの会に参加されてますか?」と聞かれました。「全くないですね。だってそうでしょう。ろうあ者でもなく、健常者達でもないですから私が参加しても何の得にもならないですよ。」伝えると「ああ、あなたのような人と会った事があります。自分がろうあ者でもない、健常者でもない立場で立っているから難しいと仰っていましたよ。」と答えて頂きました。「いいえ、そんなに難しい事ではありません。自分の両足を地に固まらせる事ですよ。じゃないと世間の人達に認められませんよ。これが、私の生きがいです。聴覚障害者に対する差別行為ではありません。自分の為なんです。では失礼します。」ときっぱりと断りました。「ありがとうございます。お会いできて嬉しいです。」とお礼を頂きました。若い頃「情熱」という言葉が好きでした。これから先、自分は自分なりに残された能力を発揮にして「遣り甲斐のある人生レールを歩みながら、日々精進して頑張っていきます。