ブログ|ケアスティ ゆい・ゆい

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初めまして。  副嶋 宏

ゆいゆいに8月から入社しました、新人ヘルパーの副嶋と申すものです。

軽い自己紹介をさせて頂きます。

生まれは鹿児島県奄美大島、育ちは長崎県長崎市で13年前に神奈川に移住しました。

長崎では三菱造船所内にて豪華客船や艦艇などの製造過程での溶接工として働いていました。神奈川では溶接工や建設現場で設備工事をしておりました。

ガテン系の仕事から介護の道に進んだ経緯としましては病院内の清掃のバイトに就き、人との関わりがある仕事の良さを感じ時が経て、介護の資格を取得し今日に至ります。

まだまだ経験値が足りないですが、頑張っていきたいと思っています。

 

そして、苗字が【副嶋】なんですが、読み方は『フクシマ』ではなく『ソエジマ』です。

今後ともよろしくお願いいたします。

暑さ開け B・I

10月に入り、急に茹だるような夏の暑さも過ぎ、漸く、秋らしい清々しい過ごしやすい季節になりました。

今年の夏は、ご存じの通り猛暑で、忙しく動き回り、体力の消耗や熱中症にも気を配りながら水分補給を細目に行い、日焼け止めを塗りサービスに入りました。大変でしたが充実した日々だったように思えます。しかし暑さで、ストレスや体力を確実に失った感は否めません。その為にはどうすれば良いのか?

あっ・・・!秋です。美味しい季節です。栗や柿・秋刀魚や新米・サツマイモに葡萄・梨にカボチャ等々、美味しい季節、美味い物食べたい。が、その対極に栄養が付きやすいという中年にはきつい季節でもあります。そのために、スポーツの秋があります。その言葉を唱えるだけでなく、来る健康診断に備え少しでも出来るように一歩一歩努力を惜しまない様思う今日この頃です。天邪鬼ですが!

ケアで考える事   A

障害のある方で、言葉を発することが出来ない方も沢山いらっしゃいます。最初は、どの様に接して良いのか分からず困ってしまったことがありました。一方的に自分のペースでケアを行う方が良いのか、一つ一つ声掛けした方が良いのか迷いました。自分がケアをされる側だったらどうか?と考えたり、以前先輩から障害の方は、いきなり身体に触れられたり、近くに寄られて声を掛けられることは苦手な方が多いから、声掛けしながらケアを行う方がいいよ、といわれたことを思い出し実行しています。声掛けして、お返事が無くても安心して下さっているのではないかとおもいます。不安を感じさせないケアをこれからも考えながら私はケアを行っていこうと思います。

平和を下さい。 和田早苗

私は、マンドリンを弾いています。

先生がくれた楽譜は、「ひまわり」と言う、映画音楽でした。この曲は、戦争によって起きた悲しい出来事を映画にした音楽です。

今、聞きながら思いを巡らすと、ここ数年は痛いほどの悲しい出来事がありました。

そう、今でも続くウクライナの戦争、北朝鮮のミサイル、コロナや、ニュースから聞こえてくる事件や出来事、そして私には永遠の母との別れ、老いや病、出来た事が出来なくなって消えていく姿と・・・、時々、いらだちや悲しみ苦しみ虚しさ、そういった言葉が雪崩のように浮かび上がります。

私は、心の中で、助けて下さい、救ってください、と手を合わせ祈ります。今私は叫びます。平和を下さいと、どうか愚かな戦争を止め世界中とロシヤにもこの曲が届きますように、人の心はあたたかく、本当に夢もあり、楽しかった色々な出来事に感動する、そんな日があるものです。悲しさも去り、今を受け止め生きる勇気を胸に抱いてひまわりを奏でます。平和を下さい。

「ひまわり」

時は流れ、光の中に溢れるほどの

悲しみを、胸に抱いて探し続けた愛は

むしく遠い、巡り愛し今は遥かな人、

二度と帰らぬあなたに愛を残して、

去り行く悲しさ、遠い異国の雪に埋もれて、

はかなく燃え尽きた愛の命、

遠い異国の雪に埋もれて、はかなく燃え尽た、

愛の命、二度と帰らぬ夢あなたの愛を残して去り行く悲しさ

夏の輝く光の中で静かにひまわりは

風に揺れる。

働くことの大切さ  R.N

私は春ごろに、海外から帰国しました。結婚し、ブラジルに1年半ほど住みました。今まで自分がそんな遠い国に行くなんて思ってもみなかったのですが、ブラジルの生活の中で日本との違いを良い意味でも悪い意味でも感じました。私は言語の問題で普通の会社で働くことが出来ず、基本的に家にずっといました。最初のうちは掃除して、料理して、ドラマを見て勉強するといった生活が楽しかったのですが、しばらくすると自分は最近何も成長できていない、自立できていないと思いストレスに感じてきました。夫の両親が会社を経営していたのでそこで週2くらいでバイトをさせてもらいました。働き出すと自分が必要とされている、人を助けているという気持ちが湧いてきて精神的に安定しました。仕事を与えてくれた義理の両親に感謝しています。ブラジルでは食品レジなどのバイトをフルタイムでしても、1日千円程度しかもらえません。物価は日本とあまり変わらないので、とても生活が苦しい国です。背骨が折れていてもお金がなくて病院に行けない人も見ましたし、ホームレスもとても多いです。しかしその中でも幸せを見つけて楽観的に暮らしている人たちも沢山います。私は改めて日本の労働環境は大変なことや問題はあるけれど、とても恵まれているのだなと感じ、働けることにとても感謝しました。働くことは自尊心につながり、自分の成長を与えてくれるものだと気づきました。また、身体と心の健康のためにも働く事は大切だと改めて感じました。

終末期ケア専門士 M.T

今、終末期ケア専門士という資格の取得に挑戦しようとしています。

きっかけは、父親の病気でした。

体調の変化があった翌日に、実家の担当の地域包括センターに相談し、介護保険の申請を行い、担当ケアマネが決定する等、慌ただしくはなりましたが、自分が出来る限りの事は出来ました。

それから1か月も経たない内に、再び救急搬送の必要性が出てきてしまい、救急搬送し検査したところ、入院する事になりました。

救急搬送した翌日に精密検査の予約がとれていた為行う事が出来たのですが、1万人に1人の確率の病気を患っている事が判明し、大学病院に転院し治療する事が決まりました。

大学病院では、検査や手術等の治療で辛い思いをしてしまうのは避けられない事、体力的に耐えられるかどうかという事、後遺症が残ってしまう可能性が高いという事から辛い治療をするよりも療養を勧められ、余命宣告を受けました。

日々弱っていく父の姿を見ているのもそうですが、余命宣告を受けた時は、私も同席していた母も涙が止まらなくなりました。

介護の道に進むきっかけが両親の高齢でした。

仕事での経験が役に立てているように思えるので後悔というか悔いは残らないように動けているのではないかと思いますが…

終末期にも自分なりに何か出来るように、最期まで悔いが残らないようにとの思いで、勉強に取り組んでいきたいと思っています。

「ノーマライゼーション」  綾部義雄 

この言葉を初めて知ったのは「介護職員 初任者研修」を学ぶ時でした。これまでは全く知りませんでした。ノーマライゼーションとは健常者と同じように近づけるという意味であり、それを思い出せば、私は自動車整備業界で生きてた頃、様々な健常者達に支えられてきた事が事実でした。自分の出来る事は進み、出来ないところをどうすれば出来るのか?その繰り返しでした。その行為は障害者差別行為ではなく、私に対する理解あってこそ育てきました。例えば「電話が鳴ってるのにどうして、かけなかったんだよ!」「ベルト鳴ってるよ!」等と怒られたりする事が何度もありました。この為、言い訳は出来ず、謝罪するばかりでした。私の欠点はあります。それは「内気」です。自分の思ってる事、考えを人に伝える事が出来ず、謝罪してしまう傾向があります。それでも大きく成長して来たんだなと自動車整備業界での社長をはじめ、同僚の人達やお客様に感謝しております。そして事情により退職し、転々と職を変えてきました。全然違うんです。ここの神奈川県では障碍者に対しては厳しいんだなと感じていました。失敗は許されない。障碍者に対しての信頼度が極めて低いんです。私はそれに対して反発し口論等と繰り返しました。何故なら私には元プロの自動車整備士であるプライドがあるからです。健常者だって失敗はします。だからといって障害者にやらせない。そうなってくると、こっちは仕事がやりにくくなります。これは障碍者差別行為だと感じられ、この為、不満にぶつけて何度か発言、口論等で口喧嘩を起こしてしまう事があります。特に神奈川スバル(株)部品センター1番大きかったでした。ここで初めて悟ったのです。自分の思っている事、感じた事を人に伝える事です。そうしないと人は動きません。「あんたみたいな奴は初めて見たよ。だってさ、俺は24時間テレビを見た時だよ。みんな頑張ってるなぁって感動したんだよ。なのに、あんたの場合、全然、違うよ。」と私はこう答えました。「それは、あんたの見ている世界は幅狭く見ているだけなんだよ。俺は色んな障害者を見てるんだよ。自分が出来なくて悔しくて泣いている人がこの世にいっぱいいるんだよ。それをお前はわかってないんだよ。」私は知っています。この為、正義感があり、障害者達に責める事が出来ない優しさはあります。そして私は介護福祉士を学ぶ中、三つ大切な言葉を学び得られました。一つ目「ストレングス」二つ目「パワーメント」三つ目「アドボカシー」ストレングスとは相手をどこまで出来るかを把握すること。パワーメントとは自分の能力を発揮すること。アドボカシーとは、その人の出来ないところを代弁すること。世の中にはアドボカシーが多いようですが、私の場合、それらを全て受けられました。自分が出来ない等と言い訳はしない。自分が出来る事をとことん追求して進んでいく。こうして同じ事を繰り返す日々の中で様々な人達に怒られたり、障碍者達に嫉妬されながら裏切られたり等と、その時の痛みや悔しさを味わえ、そんな中、私を支えたのが社長でした。そこが「ストレングス」と言えるでしょう。「ストレングス」から「パワーメント」へ導き、聴覚障害者が取得してはならない法律を乗り越えて国家自動車二級整備士の取得し、ここから厳しく険しい道のりを歩いてきました。孤立して行く寂しさ、悲しみ、悔しさ、痛みを私には十分、浸みこまれていきます。この為、多くの人達をサポートしたい。自分が人の為に役に立てる人生を歩きたいと強い願望を持っています。新しい出会いがあった時、こんな風に思っています。私が亡くなる寸前に励ましの言葉なんていりません。「私は知ってたよ。貴方って本当に頑張り屋さんだったよ。内気で口数の少ない貴方は自分が介護職には向いてないと知っていながら、負けん気で頑張ってたよ。辛かったでしょう?お疲れ様です」と言われたいくらい私は、そんな人生を歩きたいんです。勿論、障害の持つ利用者さんに強制いたしませんが、私を育てた多くの健常者達に感謝して謙虚を持ち、私は、ここで新たにスタートします。

勉強会で学んだ事 青木

毎月、サ責勉強会を開いていて、サ責は毎回参加することになっています。担当の私ともう一人のスタッフとで内容を検討し資料作成しています。以前より勉強会は行われている為に重複している内容もあると思います。

基本の身体介護・生活援助・季節により感染症対策・嘔吐物の処理の仕方・脱水・熱中症対策・車椅子移乗等様々です。基本は分かっていても、応用編は利用者様の状態に合わせてケアを行えるか?という事だと思います。

基本編から応用編をケアに入るスタッフ皆が同じように利用者様のケアができるか、という事になり、勉強する事で、ステップアップにもつながります。サ責勉強会で色々テーマを決めて学んでいきたいと思います。

消防団の活動を通じて 山口 貴子

私は、地域の消防団に入団してから、かれこれ10年程になります。子供の出産などで、一時休んだこともありましたが、今は、土曜日、日曜日の活動のある日は、ほぼ毎回出ております。いろんな職業の人たちと、そのような活動をすることにより、自分の視野も広がり、知識も深まるかと思います。又、消防団の活動をすることにより、火災や震災に対する、予備知識が増えて、自分にとってプラスになると思いますし、そういう時でも対応できるかと思います。今後も末永く、退職という日を迎えるまで、消防団に所属して、あらゆる活動、知識を深めていきたいと思います。

我が家のアイドル小梅ちゃん R.N

我が家には7歳のトイプードルの小梅ちゃんがいます。仕事の休憩時間に帰るといつも玄関で大歓迎してくれます。毎回、数年ぶりに会ったかのような歓迎を受けると心が温かくなります。私は実家を出ていた時期もあり実際に小梅ちゃんと過ごした期間は4年ほどです。なのでもう7歳になったという時の速さに驚きつつ、寂しさも感じます。最後の日に後悔しないように仕事終わりも頑張って散歩へ行くようにしています。散歩コースは小梅ちゃんがリードして決めます。本当は飼い主の少し後ろを歩くのがしつけられた犬と聞きますが、我が家では可愛いので良しとされています。自分が行きたい道と違うと横目でこちらをスンと見ながら止まって抵抗し、そっちに行ってあげるとまた歩き出すという完全にお犬様状態です。しかし犬を飼ってから家族が小梅のところによく集まるようになったり、会話が増えたりしました。ストレスやプレッシャー、悲しいことがあった時も、ふわふわな体に顔をうずめると癒されました。

いつもただクッションの上で寝ているだけのように感じる小梅ですが、とても大きな影響力を持った犬です。そしてたくさんの癒しと幸せを感じさせてくれます。そんな小梅に感謝を伝えたいです。